おきなわいち


上地哲の沖縄事典 (おきなわ自転?)
by UECHI
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31
カテゴリ
以前の記事
お気に入りブログ
メモ帳
最新のトラックバック
ライフログ
検索
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧

<   2006年 10月 ( 4 )   > この月の画像一覧


第9回上地流空手道協会東京大会

 杉並区荻窪体育館で開催された上地流空手道協会の第9回東京大会に参加した。上地流空手道宗家直系東京修武館が主催している。私が沖縄へ帰った直後から開催されていることになる。東京在住の頃、ここ杉並区の阿佐ヶ谷で空手を教えていた。その道場を引き継いでもらったのが当時指導員をしていた新垣広富館長である。金城孝栄師範代や仲里幸雄君、西田英明君なども当時からの門下生であり、今も継続していることを何よりうれしく思った。新垣館長も系統組織の問題などいろいろ悩みながらも、苦労してここまで続けてきたことは立派なことである。
 それにしても開会式での突然の来賓挨拶依頼には参ってしまった。
 上地流空手道宗家の上地完明先生も講評で、組手において攻撃中心で受け技がないと酷評されていたが、同感である。残念ながら今回の組手競技には伝統的上地流スタイルは見られなかった。面防具(メンホー)を着用し、全空連スタイルをベースにしたフルコンタクトは顔面の殴り合いが中心になり、逆にメンホーで怪我する選手も出てしまった。
f0014164_1151418.jpg

 幼児からシニアまで約100名の選手がエントリーして、形と組手の競技を競った。
 沖縄伝統空手道古武道国際研修センターから中学生の部に上地星夢が参加。形の部で準優勝したが組手の部では1回戦で敗退した。普段防具なしの上地流スタイルで稽古していると、メンホーはじめ、防具着用の組手はやりにくかったようだ。
 形でも伝統的上地流スタイルから乖離した審査基準だと感じたのは、三十数年余上地流を見てきた自分を含め少数なのかもしれない。少なくとも我々は「伝統空手道」と看板を掲げる限り古流の上地流スタイルを、形にも組手にも継承していく努力を続けなくてはならないと感じた大会参観であった。
 
[PR]

by s.t.uechi | 2006-10-31 12:56 | 空手

沖縄そばの話

 10月17日は沖縄そばの日

 沖縄では普通に「そば」(または、方言アクセントで、“すば”)と言えば、小麦粉100%の麺が入った「沖縄そば」のことを指す。ところが、1972年沖縄が「日本になった」(日本復帰)時から沖縄そばのことを「そば」と言ってはいけないとなった。県公正取引室が言うには「生めん公正取引規約」(1970年制定=沖縄が日本でなかったころ)でそばと呼ぶのは蕎麦粉が30%以上含まれる麺類でなければならないとのこと。(生活慣習や食文化はまったく無視?)
 沖縄製麺協同組合の皆さんは伝統ある沖縄の食文化を守るため、県・国と交渉を続け、ついには1977年通称として県内での使用を、1978年の10月17日には「本場沖縄そば」としての呼称を復権させたという。それで「沖縄そばの日」なのだ。
 ちょっと歴史的に見てみよう。もともと琉球王朝時代に中国からもたらされ、明治13年の琉球併合(日本になった)以降、王族士族の食から一般の食となったが、ほんとうの庶民の食となったのは戦後(アメリカ世になった時)、安価な小麦が大量に輸入されるようになってからと言う。ずうっと「そば」と呼ばれてきた歴史は100年以上と考えられる。ルーツは東アジアから東南アジアに広く伝播した「福建麺」が源流と見るべきであろう。「支那そば」や熊本~長崎に伝わった「ちゃんぽん」も同類で、ベトナム、タイ、マレーシア、シンガポールに類似の麺料理を見ることができる。
 今では日本全国に「沖縄そば」は認知され、容易く食べられるようになったが、この麺料理の背負った歴史は意外と深い。よく味わい、おいしく食べて欲しい。
 (おきなわいちでは、サン食品や中山そばが人気です。)
 http://www.okinawa1.co.jp/list.cgi?id=0050
 f0014164_1221582.jpghttp://www.okinawa1.co.jp/shop/nakayamasoba/
[PR]

by s.t.uechi | 2006-10-13 12:22 | 沖縄事典

長寿村の鉄人

 大宜味村喜如嘉で出会った平良豊秀氏は、頭脳明晰、記憶力抜群、明朗闊達、身体能力は若者に負けない93歳の鉄人であった。空手道は剛柔流範士。第19回全日本マスターズ陸上競技選手権大会で槍投げ、円盤投げともに3位(当時85歳)。脅威のご老人である。腰はやや曲がってきたというものの、動きは俊敏そのものであられる。
 知念賢祐先生が奥様のお祖母さんが住んでおられたという古い互屋を改修してアトリエとして利用されているので、八木明達先生ご夫妻、守礼堂中曽根社長ご夫妻、末吉先生、ソフィアンヌらとともに夫婦でおじゃました。集落の中ほどに位置するアトリエの隣が平良師のお住まいで、知念先生の奥様のご親戚であるとのこと。
 一昔二昔前に会ったという八木先生や中曽根氏のことも細かに覚えていらっしゃるという記憶力には脱帽した。古い空手家の写真も多く見せていただき、貴重な空手のエピソードも聞かせていただいた。
 ご本人は130歳までがんばるとおっしゃている。直接伺っているとまるで疑えない真実味のある言葉なのだ。帰るという我々を屋敷の外まで見送られたのには恐縮した。
 自分が心身ともに未熟者と痛感させられた一日であった。
(写真が暗いが、平良豊秀師と、後方に八木先生、知念先生)
f0014164_175139.jpg

[PR]

by s.t.uechi | 2006-10-10 17:07 | 空手

一人だけ通れる歩道

 東京都港区の青山墓地となりの外苑西通りの歩道は、始点に「自転車は通れません」の表示がある。「はて、何の意味か?」と首を傾げつつ進んでいくと、人っ子一人しか通れない道幅であった。幸い対向者に出くわさなかったから良いようなものの、すれ違うのも困難な歩道だった。
 土地価格の高い土地柄ならではなのか。これでは墓地の霊も歩道は歩けない???
f0014164_16385319.jpg

[PR]

by s.t.uechi | 2006-10-03 16:28 | その他