おきなわいち


上地哲の沖縄事典 (おきなわ自転?)
by UECHI
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田芋(ターウム)の話 (2004年1月4日出稿)

 田芋は沖縄のお正月料理に欠かせない食材である。というよりめでたい席に欠かせないと言った方が適切かもしれない。
文字通り田圃で栽培する芋であるわけだが、姿形はクワズ芋やタロ芋に似て、おとぎ話で蛙が差している傘、すっと伸びた茎の先に50~70cmくらいの大きなハート型の葉が載っている。茎の先の湿地の中には長さ約10㎝、直径数センチから10㎝程の円筒形の芋が茎の延長線に付いている。やや紫色がかった灰色。生芋は皮をむくと多少ぬめりがある。人によっては手に付くとかゆみを覚える。
この芋のまわりに次々と小芋ができて、芽を出し茎が伸びる。これを株分けして増やしていくのだ。この増え方が子孫繁栄に例えられ豊かさの象徴として沖縄ではありがたがられる。めでたい席に登場するわけである。
この芋、どう見ても南の食べ物である。太平洋諸島や東南アジアの風景に似合う植物の相をしている。今でも宜野湾市大山のコンベンションセンター近くに田芋の水田が広がっている。私の好きな景観の場所でもある。金武町も田芋の水田があり、特産品として加工品が作られている。いつ頃沖縄に来たのか不明だが、金武町特産品物産センターのホームページに紹介文があったので引用する。

田芋はテンナンショウ科に属する里芋の一種。高温多湿の気候に適した植物で、 亜熱帯アジア各国の水田で広く栽培されています。沖縄への伝来の時期は明らかで はありませんが、『混効験集』(1711年)に「田芋」という言葉の記載が認め られることから、18世紀の初頭には栽培が一般化していたとする説が有力。また、 久米島で発見された古文書(1727年)に、田芋栽培用水田の整備についての記 載もあることから、甘藷の伝来(1605年)に先立ち、15世紀中には南方より その栽培法が伝えられていたと考えられます。このように、時期・経路ともに不明 な点の多い田芋の伝来ですが、金武町の民話では次のように語り伝えられています。<むかし、中城間切のある寺に、金武出身のお坊さんがいた。久しぶりに故郷の金武へ帰省したお坊さんが、早朝の散歩を楽しんでいると、田の畦に見なれない植物があるのが目に止まった。しなやかな茎に青々とした大きな葉の表面には、朝日に照らされたキラキラと輝く露の玉。その美しさに心をひかれ持ち帰ろうと掘り起こしてみると、黒褐色のヒゲをつけた芋が出てきた。割ってみるとおいしそうな感じがした。この、見たこともない植物を育ててみようと思ったお坊さんは、中城の寺に何本かを持ち帰り、庭先に作った小さな窪地に水を溜めていねいに植えておいた。何か月かが過ぎ、大きかった葉がだんだん小さくなってゆくのを不思議に思い掘り起こしてみると、泥の中には大きな芋がゴロゴロ。さっそく鍋で茹で、食べてみると何とも言えないおいしさ。これを栽培すれば飢えに苦しむ人も少なくなると思ったお坊さんは、中城と金武の人々に種芋を分け、その栽培法を伝えた。こうして始まった田芋栽培が、やがて琉球全域に広まった。>(金武町特産品物産センター http://www.kin.cc/tokusan/taimo.htm)

 茹でたり、蒸したり、揚げたりして、塩味だけで食べても美味いのだが、ドゥルワカシーとかドゥル天とかいう、蒸して潰してシイタケや肉などを混ぜ味付けしたり、それを揚げたりした料理が人気を呼んでいる。
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by s.t.uechi | 2004-01-04 13:32 | 沖縄事典