おきなわいち


上地哲の沖縄事典 (おきなわ自転?)
by UECHI
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初めてのハラキリ

2月25日県立中部病院に入院。たくさんの同意書にサインをさせられ、手術準備の事前処置。夕食後、水分、食物の摂取禁止。この時点では気楽なもので、たくさんの仕事を持ち込んで片付けるつもりでいた。事前処置で右手甲に太めの点滴針取り付けられ、右手が使えなくなる。パソコンが打てない。仕事はアウト。
翌日26日13時50分手術室へ。最初に下半身麻酔の注射を脊髄に打つ。背中を丸めて、体を動かさないよう抑えられる。注射の針が少しでもずれたらいけないからだ。約20秒かけて麻酔薬を注入された。しばらくして足が熱くなる感覚が広がり、足全体が痺れていった。自分の意思では下肢が動かない。腹部を触られている感覚はあるが、何をされているのか、もうわからない。
約62年の人生初めての手術で12cm程腹を切った。腹膜鼠蹊部ヘルニアとのことで、腹膜の筋肉に開いた穴をメッシュで塞ぐ手術。このままだと腸が出て捻れ血流が止まり大事に至るとのこと。
約2時間後の16時、手術医の一人から終わったと告げられた。切った部位に違和感を感じる程度で、まだ痛みは感じない。下半身は全く動かないので、医師たちが手術台からベットへ移動して、本館から別館まで長い渡り廊下を渡り病室まで運んでくれた。
麻酔が切れたら、痛みとの闘いが待っている。
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by s.t.uechi | 2016-02-27 09:08 | private

父の日

 母と妻と昼食をとっている時、テレビで父の日の話題が出た。妻も子供たちも、おそらく多くの人が「父の日」を、「母の日」「子供の日」に比べればそれほど意識していないはずだと思っていた。それは間違いないであろう。実際妻も忘れていたし、私も意識していなかった。だからサプライズ効果が高い。午後、東京の息子夫婦から酒が届いた。「父上様に感謝一杯」という銘の有機栽培米吟醸純米酒。これは、うれしい。さっそく一杯、のつもりが、二杯、三杯。ついつい杯を重ねてしまった。好い日なり。
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by s.t.uechi | 2013-06-16 21:11 | private

嵐のようなひと月

 この10月は息つく暇のない月だった。職場では9月末の台風17号の片付けに始まり、南城市まつり、クーペ&Shifoくるくまコンサート、沖縄県の産業まつり。道場の空手の演武や大会が続いた。合間を縫って、全国連の審査委員会、父の七七忌や後処理、母の入院のことなど、全てにおいて時間がなく中途半端に終わった感が残る。もちろん自分の家のことなど何一つ手つかずで台風後の後片付けすらまだである。そろそろ涼しくなってきたが、このまま冬になってしまいそうで、焦る。
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by s.t.uechi | 2012-10-29 12:54 | private

父、上地勇光逝く

8月29日午後3時10分、上地勇光享年84歳(満83歳)死亡。
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1929年10月1日沖縄県読谷村字儀間に生まれる。県立農林学校在学中、沖縄戦に遭遇、鉄血勤皇隊として召集されたが生き残った。終戦直後の中学校で英語の臨時教員、その後、米軍情報部隊、琉球税関、大蔵省研修生、二葉通関事務所開設、大栄空輸㈱設立、初代社長、会長。リタイア後はほとんどの時間を病気との闘いに費やした。
やっと闘病生活から解放されて息を引き取ったその顔は実に穏やかな表情をしていた。ほっとしたような、微笑んでいるかのようにさへ見える。長い間苦しかったろう、きつかっただろうと思う。父の人生はご苦労ばかりだったのだと思われる。そんな人生の中で、時々訪れたであろう幸せな時間は、どんな時で、どれくらいの時間だったのだろうか。そんなことを考えながら、遺体と過ごす夜。
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by s.t.uechi | 2012-09-01 17:09 | private

母と父の入院

 7月9日母が脳内出血で那覇空港から救急入院。出血は止まったものの右半身の麻痺と言語障害が出た。今も那覇市内の病院にいるが、リハビリ治療に移ることになり現在転院先を調整中。しっかり者の母は、リハビリも頑張っている。一定程度の回復は期待できる。
 実家近くの医療介護施設に入っていた父は7月18日熱が治まらず救急車で総合病院に入院。肺ガンに肺炎と診断されたが、父の体力では治療が無理と判断、27日介護施設に戻った。また熱が出て、8月6日主治医と面談、ガン治療で総合病院に入院することは止めることを確認。このまま様子を見ることにした。今できることは、フコイダンを与えて経過観察していくことだけ。主治医は、母が退院できるまで持たせたいと言っていた。姉たちには、覚悟をしておく必要があると話した。
 母のはまだわからないが、父の入院費と施設の費用で予想外の出費となった。かなりきつい。これからしばらくは厳しい日々が続きそうだ。
 救いは明るく働き続ける妻と県外で頑張る子供たちだ。自分も明るくいたい。

 母の見舞いの帰り、漫湖に架かる「はりゅう橋」から那覇大橋を望む。
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 母の入院する病院
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by s.t.uechi | 2012-08-15 22:51 | private

プチ自慢

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私の宝物などと言うのはおこがましい。子らは、ちょっとした自慢。
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by s.t.uechi | 2012-05-01 18:22 | private

息子の結婚式

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 息子が東京で結婚式を挙げた。花嫁は千葉県の方。とてもかわいい、そしてしっかりした娘さんだ。何もしてやれない情けない親だが、二人の幸せを祈るだけだ。それにしても六本木ヒルズの51階という会場と、モーニング着用が私には分不相応で、しっくりこなかった。
 5月3日には沖縄でもお披露目の予定。気楽にかりゆしウェアーで、くるくまカフェで良い。
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by s.t.uechi | 2012-04-01 10:52 | private

1年前の朝日(仲本勝男氏撮影)

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 昨年の4月6日(私の誕生日)の朝日である。もうすぐ6年、毎朝、朝日に向かい撮り続けてきた仲本勝男仲善社長のアルバムの中から見つけた1点。大震災から1か月近いこの日、私は精神的にかなり打ちひしがれていた。今、当時の仲本社長のブログに、朝日と、蘇鉄と、イソヒヨドリの重なるこの写真を見つけ、被災地の人々に思いを馳せて希望を祈る思いを教えてもらった。素敵な写真である。
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by s.t.uechi | 2012-03-20 13:33 | private

初日の出

あけましておめでとうございます。
昨年東日本大震災で被災され、亡くなられた皆様に心より哀悼の意をささげます。

 元旦を、琉球開闢の地久高島を望むくるくまの森で迎えました。
夜明け前、時折冷たい雨の落ちる中、東の空に微かな朝焼けが確認できましたが、厚い雲に覆われ、日の出時刻になってもお日様を拝むことはできませんでした。7時55分、雲の切れ間から赤味を帯びたカーテンのような光が水平線近くの海面に注ぎました。そして8時41分、灰色の雲に穴が開き、明るい光が海に、久高島に、そして我々の上に注ぎました。確かな、暖かい陽射しを感じました。
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 この国も、私自身もまだ先の見えない困難な状況が続いていますが、厚い雲の向こうの太陽に向かい合って生きて行く年にしていけたらと思います。
 庭では社員が三線を弾き沖縄民謡のおめでたい歌を披露してくれました。
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 未明の朝食は、カフェくるくまのタイのお粥カオトンを妻と二人でいただきました。外では炭火で焼いたムーサテー(ムーヤン)という豚バラ肉の串焼きをタイのおいしいタレで味わい、お客様が引けた後、料理人たちが提供してくれたまかないのターキーをごちそうになりました。料理人は全員タイ人で、いつも本場のタイ料理を提供してくれています。
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by s.t.uechi | 2012-01-03 09:25 | private

ささやかなクリスマス

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 サンタクロースも来ない、それを待つ子供もいない、ジングルベルもない、何もないアパートの入口に飾られた布製のツリーは、20年以上も前に埼玉の姉から子供たちに贈られた手作りのクリスマスツリーだ。ひとつのシーズン(時期)の節目として、それはそれで大切なのかもしれない。
 メリークリスマス。
 
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by s.t.uechi | 2011-12-26 06:00 | private