おきなわいち


上地哲の沖縄事典 (おきなわ自転?)
by UECHI
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玉城幹男君を悼む

 株式会社ゆいまーる沖縄の玉城幹男君が亡くなった。1年半のリンパ癌との闘病生活だったという。申年の生まれだったから、まだ数え歳は52歳のはずだ。いつでもどこでも沖縄のために熱く燃え行動してきた男。前向きに生き続け、沖縄を引っぱり続けた馬車馬のようにエネルギッシュな男の壮絶な生き方だったのだと思う。
 30年ほど前に東京で彼と知り合った。在関東沖縄青少年の集い「ゆうなの会」で彼は若きリーダーであり続けた。私と二歳違いの若い彼は当時の先輩たちとは明らかに違う思想を持っていた。世の中は全共闘世代の運動が破綻し、沖縄を取り巻く運動も政治運動から社会運動へ動いていたように思う。職場では労働運動のリーダーであり、基地問題や三里塚闘争にも参加し、政治的大衆組織と自称していた沖縄研究会の主要メンバーでもあった彼は、しかし一貫して足場をゆうなの会に置いていたように思う。琉球の独立を目標に掲げ、民衆主体の沖縄社会を作ろうとしながらも、少しもイデオロギーの匂いがしない男だった。仲間とエイサーを踊り、一生懸命遊ぶ姿が印象に残っている。
 時には人間関係の揉め事もあったし、ゆうなの会や沖研」、県人会などトラブルは年中行事だった。なぜかお互い沖縄の物産関係の仕事をするようになり、時には競合他社であったりもしたのだが、不思議と彼と対立した記憶は一度もない。おそらく、いつも大局的な見地に立つ彼が大人だったせいだと思う。沖縄に帰ってからは頻繁に会う機会もなかったが、物産公社が分裂したときなどは第3者の取引業者として共に行動した。いつかは一緒に仕事をする関係なのだと、お互いがあたりまえのように思っていた。それも永遠にかなわなくなってしまうとは思ってもみなかった。
 沖縄の未来にとって大事な人材を失ってしまった。そして、非力な自分が今こうして生きていることを情けなく思う。願わくば、彼の蒔いた多くの種が彼の遺志を受け継ぎ育っていくことを願う。
 玉城幹男よ、やすらかに。そして沖縄を見守り続けてくれ。うーとーとぅ。
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by s.t.uechi | 2007-11-11 18:07 | 地域
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