おきなわいち


上地哲の沖縄事典 (おきなわ自転?)
by UECHI
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勝連城跡の夕陽

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 勝連半島のつけ根にそびえる勝連城(カッチングスク)は13世紀頃の建造と言われているが、正確な記録は無い。城内からは中国、朝鮮、東南アジア各地の、陶磁器をはじめとする産物が出土していることから、海外交易の拠点であったことがうかがえる。中山王察渡や尚王家とのつながりも多く、琉球王国にとっては要衝の地であったと思われる。9代城主茂知附(モチヅキ)按司(アジorアンジ=領主)を倒し10代目城主となった15世紀の琉球の雄“阿麻和利”が最後の城主と言われている。琉球王国の歴史では彼は王府に刃向かった逆賊とされているが、古謡「おもろそうし」には、勝連を京都や鎌倉に譬えるほど発展させた「肝高(=気高い)の阿麻和利」と称えられている。国王軍に攻め滅ぼされる時。国王の娘で絶世の美女と言われた彼の后“百十踏揚(モモトフミアガリ)”は城を逃れ、彼を討ったかつての彼女の付き人鬼大城(ウニウフグスク)と後に一緒になった。阿麻和利の乱の真相は、政略結婚を強いられた后と付き人の不倫ロマンスが背景にあったと見るのは下衆のかんぐりだろう。
 この城は実に美しい。北の金武湾、南東に広がる中城湾、沖縄島の南北に伸びる山なみの景観もきれいだ。ここで生きていた人々も、城の石垣の上から美しい夕陽を眺めたことだろう。陽の沈む西の方、読谷村に阿麻和利の眠る墓がある。彼の地と何の因縁があるのか知る由も無いが、今度訪ねてみたい。
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by S.T.UECHI | 2011-06-09 11:51 | 沖縄事典
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