4月5日清明節に入った。沖縄では島中が先祖との交流、血族との交流の季節に入る。この季節に野山に綺麗な赤い花を咲かせるのがグラジオラスだ。ちなみにこの日は中国では国中が休日となる。
毎年我が家では十カ所近い墓所を御馳走の詰まった重箱をお供えして拝むことになっている。中でも謝名親方は、1609年に徳川幕府の意向を受けた薩摩軍の侵攻によって、国王含め薩摩へ連行され、400年前に彼地で島津藩によって殺された。琉球王国の宰相で反薩摩の象徴である彼のお骨は、薩摩支配下の那覇へ帰ることなく読谷の儀間の海岸に隠された。公にされることなく秘匿され、当家だけで墓守りを400年続けられてきた。その歴史も情報と知識不足から、私が東京にいるうちに、ホテル建設によって無縁仏の共同墓地に移されてしまった。清明節のこの時だけ、謝名親方の御骨を拝むのだ。なぜ当家だけなのか、なぜ謝名一門、鄭氏が拝まないのか、未解明なことが多過ぎる。今では当家の誰も四百年前の謂れを知らない。