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つつましく緋寒桜は花開く島の乙女の恥じらいに似て
頬染めてうつむきかげんに花開く緋寒桜は愛しかりけり 座喜味城千代の松ヶ枝今はなく緋寒桜の静かに咲けり ![]() ![]() 緋寒桜の花は下を向いて咲く。つつましく、美しく。きりっとしたソメイヨシノも儚さと華やかさが美しい。だが、田舎娘の恥じらいにも似た緋寒桜がたまらなく愛おしい。 座喜味城跡の周りに数本の緋寒桜の木があり、毎年正月頃から咲き始める。確か、小学生の時の恩師、島袋正栄先生が植えられたものだと思う。かつて一の丸には美しいリュウキュウ松があったが、今はない。戦前は日本軍の高射砲陣地、戦後は米軍のミサイル防衛部隊のレーダー基地だった座喜味城跡は、今は世界遺産になっている。中学生の頃「荒城の月」の歌のイメージが重なったこの城跡が好きで、家路は遠回りしてここをよく通ったものだ。 あけましておめでとうございます。
昨年東日本大震災で被災され、亡くなられた皆様に心より哀悼の意をささげます。 元旦を、琉球開闢の地久高島を望むくるくまの森で迎えました。 夜明け前、時折冷たい雨の落ちる中、東の空に微かな朝焼けが確認できましたが、厚い雲に覆われ、日の出時刻になってもお日様を拝むことはできませんでした。7時55分、雲の切れ間から赤味を帯びたカーテンのような光が水平線近くの海面に注ぎました。そして8時41分、灰色の雲に穴が開き、明るい光が海に、久高島に、そして我々の上に注ぎました。確かな、暖かい陽射しを感じました。 ![]() ![]() ![]() ![]() この国も、私自身もまだ先の見えない困難な状況が続いていますが、厚い雲の向こうの太陽に向かい合って生きて行く年にしていけたらと思います。 庭では社員が三線を弾き沖縄民謡のおめでたい歌を披露してくれました。 ![]() ![]() 未明の朝食は、カフェくるくまのタイのお粥カオトンを妻と二人でいただきました。外では炭火で焼いたムーサテー(ムーヤン)という豚バラ肉の串焼きをタイのおいしいタレで味わい、お客様が引けた後、料理人たちが提供してくれたまかないのターキーをごちそうになりました。料理人は全員タイ人で、いつも本場のタイ料理を提供してくれています。 ![]() ![]() ![]() 今朝も出勤途中、親慶原(オヤケバル)で日の出に合う。会社に着くと2階の玄関前から海に伸びる黄金の道が見えた。 ![]() くるくまの西側エリア、茶屋一心庵の前に大きな岩がある。その周りの草花を蝶々が飛び交う。黄色の花に群がる数羽のイシガケチョウが、心地よい日差しの中で蜜を吸っていた。 ![]() いつも出勤の途中で日の出になる。今朝も大きな赤々とした太陽があがった。あまりにきれいだったので2度も車を止めて観入った。会社で、同じように感じた社員がいたのでうれしくなった。一つの太陽をたくさんの人が観ている。そして太陽はたくさんの人たち、生き物、地球上の万物を照らしている。 空手をやる子供たちは元気だ。南国の沖縄でも北風が吹くと体感温度がいっきに下がる。それでもサンチン、小手鍛えなど、稽古をすれば汗が出るほど暖かくなる。上地流は他流派に比べ少ない型とは言え、八つの全ての型をすると息も上がってくる。サンチン3回、完子和、完周、十戦、十三、十六、完戦、三十六。さすがに深く考え錬られた型である。競技空手では実戦性の無い型がほとんどだが、上地流の型は全て実戦的である。上地流空手道連盟は組手も構えから型の思想が貫かれている。だが、同じ上地流と名乗っている会派でも組手はずいぶん変化している。鍛錬主義に基づく型組手一体の実戦空手としての上地流こそ護身術であり、伝統空手と呼べるものと確信する。![]() ![]() サンタクロースも来ない、それを待つ子供もいない、ジングルベルもない、何もないアパートの入口に飾られた布製のツリーは、20年以上も前に埼玉の姉から子供たちに贈られた手作りのクリスマスツリーだ。ひとつのシーズン(時期)の節目として、それはそれで大切なのかもしれない。 メリークリスマス。 春うっちんの収穫の季節がやってきた。呼称 うっちん(ウコン)は「鬱金」または「宇金」と表記され、中国読みで「ウッジン」「ウージン」と発音し、沖縄では「うっちん」宮古島では「うきゃん」と呼ぶ。「うこん」は単に漢字を音読みしただけである。中国語を沖縄方言で発音したのか、沖縄の呼称に漢字を当てたのか、歴史的な経緯は明らかではない。沖縄から伝わったのであれば後者であろう。いろいろな文献から日本に伝わったのが平安時代で、沖縄(琉球)では、それ以前から使用されていたとする記述が多い。いずれにしろ「うっちん」という呼称は「鬱金」のルーツであり、単なる方言として片づけられるものではない。 歴史 中国の後漢の学者、王充が著した『論衡』(約2000年前)に「周の時、天下太平にして、倭人来たりて鬯草を献ず」「成王の時、越裳は雉を献じ、倭人は鬯草を貢ず」とある。成王の時とは約3000年前であるが、王充と同時代の班固が書いた『漢書』地理志で「倭」とは朝鮮半島の南の海のかなたにあると書いており、『論衡』では、倭は中国の南の呉越地方(揚子江の下流域の南付近)と関連あるとしている。地図上でその位置を探すと琉球列島から台湾あたりになる。古代中国で貨幣として流通していたと思われるタカラ貝は琉球でしか産出していないことから当時より交易があったと見るのは自然である。また春うっちんはこの地域に自生しているが、これより北には自生していない。 芳しい香り 鬯草は香りの良い草(香草)と言われ、周の頃、神々と交信する祭儀の場で撒かれる神酒、「匂い酒」のことを鬱鬯(ウッチョウ)と称した。一方、鬯草を昆布だとする説もあるが、昆布で匂い酒を造るとは考えにくいし、昆布の生育する東北・北海道と周との交流の痕跡は知らない。 後の唐の時代の詩人李白の客中行にも「蘭陵美酒鬱金香」とあり、香りの良い酒として鬱金が登場する。鬯草とは琉球から貢がれた春うっちんのことで間違いないと思われる。また、明の時代、李時珍が1578年『本草綱目』を完成。鬱金についての記録は『味は辛く苦し、寒にして毒なし。主冶は心腹の血積(逆上して鬱血すること)に気を下す。肌を生じ、血を止め、悪血を破る。血淋、尿血、金瘡(切り傷)を治す』とあることからも春うっちん=ウコン(キョウオウ)を鬱金と表記していたことがわかる。 ![]() 特徴と成分 春うっちん(ウコン)は切り口が秋うっちん(ウコン)よりも薄い黄色で、苦みや刺激が強くそのまま食品として食される事は少ない。中国や沖縄などで古くから民間生薬として使用され、肝機能の回復に効果があると言われている。春うっちん(ウコン)の成分は、クルクミンは約0.3%で、精油分は約6%がバランスよく含まれているので、オールマイティな効能が期待できる。ミネラルや精油成分がたくさん含まれていて、二日酔いの防止や免疫力を高め体調を整える働きにすぐれている。強壮精油の主成分はセスキテルペン、セスキテルペナルコール、カンフェン、カンファー、シネオール、クルクミン、デメトキシクルクミンなどである。 人類を救う 多くのガンと闘う人たちがモズク由来のフコイダンや春うっちん(ウコン)を味方にして闘っている。人類は今ガンと闘っている。そのまた力になれるのが沖縄ではないか。 雨の降る日にコンテナ倉庫の上で「スーシ」(イソヒヨドリ)を見つけた。近づいても逃げない。どうやらこの倉庫の周りに巣でも作ったのであろう。さらに近づくと地面に降りて私をにらみ、倉庫を守っているかのようだ。これは、巣の中に雛でもいるのかもしれないと思った。それとも単に人なつっこいだけなのか。そういえば、くるくまの森周辺でいつも見かけるスーシがいるが、この鳥かもしれない。この地の先住人(?)なのか。(この鳥は何年生きるかわからないが)朝日を2050日近く取り続けている仲善の仲本社長の写真の中にも度々登場してくるスーシがいるが、きっとこの鳥なのであろう。この地に住む先住の者として、我々人間の所作所業を視ているのかもしれない。古来より聖地と云われているこの地を見守る神々の使いとして。 ![]() 朝、仲本社長がカメラを構えると、1羽だけのスーシが周りに現れる。岩の上や木々の上から朝日に向かってシャッターを切る仲本社長を、観察するように見ているのだ。時折社長のカメラに納められるが、いつも威風堂々、ポーズを決めている。(下の画像2枚は仲本社長の日の出ブログ「出逢いは宝」東の空2012よりhttp://katsuobushi.ti-da.net/) いつもながら時間に追われ、仕事に追われ、借金に追われ、子供や家族や身の回りのことに追われ続けているかのような感じに思えている自分は、はたしてほんとうの姿なのか。追っかけられていると思い込んでいるだけではないのか。周りの事象のとらえ方、ものの見方を間違っていたのかもしれない。この鳥の目線はどこに?と思わせたスーシだった。 1羽の鳥が、自分より大きな人間も恐れず、凛としてそこに“存在”していることの確かさは動かしがたい事実である。
![]() 先日、お昼を食べそこねて、残りの昼休み時間15分という時に、職場から5分もしない集落の中に「食堂」を発見!最初は見過ごして通過した車をUターンさせて近づくと、駐車場がない。食堂横にすべりこませると、目の前にはヒンプン(門の奥の衝立のようなもの?)を置いた古民家があった。どうやら食堂の主の住家と思われる。かまわずに駐車し食堂に入った。外には「いろは食堂」の小さな看板以外何の表示もない。引き戸の内側に「商い中」の小さな札がぶら下がっていた。 中には作業着を着た男の客が一人、畳敷きの座敷に座って、まさに料理を食べ終わろうとしている。どうやら「みそ汁」を食べたようだ。この料理も沖縄独特のもので、野菜やジャガイモ、肉またはポークランチョンミートに大きな豆腐に半熟卵が大きなどんぶりに溢れんばかりに入ったシロモノ。これにライスがつくから定食として十二分のボリュームがある。10月に来沖した東中野の「うみないび」のママが、メニュー表の「みそ汁」という表記と現物とのギャップに目を丸くしていた。 それはさておき、私は何を食べようか、考えながら店内を見渡すが、一切のメニューがない!壁にも、テーブルの上にも厨房にも、どこにも料理名がない。 厨房の中には、これまた一切笑顔のない、無愛想なオバーが一人、不思議な貫禄の湛えながら黙って食器を洗っている。注文を聞こうともしない。こちらは何をどう注文して良いかわからず、思わず「あのー、ソバはできますか?」と聞いてしまった。 「ソバ?」と聞き返された気がしたので、「ハイ」と答えると、オバーは黙って背中を見せて作業にとりかかった。 こうなると私の頭の中は「いったいどんなソバが出てくるの?」という、不安と期待とがグルグル回りっぱなしになった。「味は?」「量は?」「トッピングは?」「ひょっとしてどんぶりに親指が入ったまま出されたら・・・」と、変なことばかり想像しているうちに、一人がけのカウンター席(ただの机に雑誌が並べられた子供の勉強机のようなもの)の前に座っていた私の前にソバは普通に運ばれてきた。 普通のソバどんぶりに、ややちぢれ麺とカツオ出汁が色づいた透明に近いスープ、棒天蒲鉾スライス、三枚肉、マシシ(脂身のない肉)が2枚づつの計6枚、交互に円く並べられている。その上に島ネギがちりばめられ、紅ショウガが真ん中に乗せてあった。出汁はカツオをベースに豚肉の出汁も加わったサッパリすぎることもなくしっかりした味わいをだしている。想像に反しておいしいソバであった。 私が食べあわる頃に、また作業服を着た中年の男の人が入ってきた。慣れた様子で「そーきソバ」と注文したら、オバーはまた「そーき?」と言って、そのまま作業に入った。 私は「ごちそうさま」と声をかけたが何の返答もない。続けて「いくらですか?」と聞いたら、やっと「400円」と答えてくれた。支払いを済ませ、店の外に出るまで「ありがとうございました」はない。しかし少しも嫌な感じはなく、「うまかった」という思いだけが心に残っていた。 オバーも客も店全体が昔から変わらない日常の風景のように、淡々と時が流れているかのようであった。わずか15分の私のお昼時間は、ゆったりとした時間の中にあった。
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